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大阪地方裁判所 平成元年(ヨ)2759号 決定

申請人

布施琢磨

右申請人代理人弁護士

木村達也

田中厚

尾川雅清

被申請人

高田れい

右被申請人代理人弁護士

高田良爾

主文

申請人が被申請人に対し雇傭契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。

申請費用は被申請人の負担とする。

理由

第一申立て

一  申請の趣旨

主文一項同旨

二  申請の趣旨に対する答弁

本件申請を却下する。

第二判断

一  疎明と審尋の全趣旨によれば、次の事実が一応認められる。

1  申請人は、昭和四八年ごろ、大阪市北区堂島一丁目三の九日宝堂島センタービル一階所在の小料理屋「尾婆伴」(以下、本件店舗という。)を経営する高田美奈子(以下、美奈子という。)に雇傭され、それ以来板前として勤務してきた。

2  美奈子は、株式会社日宝から右ビル内の一室約三〇平方メートルを賃借し、ここで本件店舗を経営してきたが、平成元年七月二二日、美奈子が死亡し、本件店舗の賃借権を含む美奈子の権利義務は、第一順位の相続人である長男諭が相続放棄をしたため、美奈子の母である被申請人が承継した(ただし、美奈子と申請人との間の雇傭契約上の地位を承継したかどうかは、のちに判断する。)。

3  申請人は、本件店舗において、単なる板前としてだけでなく、美奈子から仕入れ一切を委されて取りしきるなど、営業全般の事実上の責任者として働き、美奈子が平成元年五月二〇日ごろから病気のため病院に入院して本件店舗に出向くことができなくなってからのちも、美奈子の意思にしたがって本件店舗における営業を従来どおり変わりなくつづけ、美奈子の死亡後も従来どおりの営業をつづけてきた。

4  美奈子の死亡後に、被申請人は、申請人に対し、本件店舗の営業権を、譲渡代金二三〇〇万円、これと退職金二五〇万円とを相殺した残額二〇五〇万円を即時支払う、との条件で買い受けるよう求めるとともに、申請人がこれに応じなければ、本件店舗の営業権を第三者に譲渡する旨の申入れをした。右買受けの点について申請人・被申請人間で協議したが、合意の成立までにはいたらなかったところ、被申請人は、申請人に対し、平成元年九月二五日到達の郵便で、申請人が同月二六日までに右買受けの申出に応じなければ、被申請人はその申出を撤回し、翌二七日以降申請人においては本件店舗に立ち入って営業することを中止するよう申し入れた。

また、そのころ、被申請人は、所轄の府税事務所及び保健所に、本件店舗の営業の廃業届を提出した。

5  ところで、被申請人においては、本件雇傭契約に関して、同契約は、本件店舗の経営者である美奈子が申請人に一定の営業上のノウハウを伝え、申請人が本件店舗から独立して自力で営業することができるよう助力することを内容とするもので、きわめて個性的なものであり、経営能力もない被申請人が美奈子の給付(申請人に対する右助力)を美奈子に代わって実現することなどできないものであるから、美奈子の死亡によって本件雇傭契約は終了したとの見解に立って、申請人に対して前記4のような申入れをしてきたものであるが、これに加えてさらに、同月二八日、申請人に対し、民法六二八条によって本件雇傭契約を解除する旨の意思表示をした。その理由は、被申請人が本件雇傭契約上の使用者の地位を相続により承継したとしても、本件雇傭契約は雇主が本件店舗で飲食店を経営することを前提としているのに、被申請人においてその事業を廃止し、申請人から労務の提供をうける必要がなくなったのであるから、右規定にいう解雇をやむをえないとする事由が生じた場合にあたる、というのである。そしてさらに、被申請人は、申請人に対し、同年一〇月一七日ごろ、被申請人が本件店舗の事業を廃止し、申請人が従業員としての地位を失っていることを理由として、申請人の本件店舗への立入りと営業の継続を中止することを申し入れた。

二  右事実のもとでは、次の1、2のとおり判断することができ、さらに右事実と本件の疎明に照らすと、次の3のようにいえる。

1  雇傭契約は、使用者がその固有の専門的技能を直接被傭者に教えることを内容とするなど、その契約における使用者が具体的な特定の人物であることを要素とするものでない限り、使用者の死亡によって当然に終了するものではない。美奈子と申請人との間の雇傭契約においては、美奈子は本件店舗の営業を包括的に申請人に委ねてきており、とくに美奈子が入院して営業の実務に関与できなくなってからも、申請人が従来と変わりなく営業を継続してきたものであるから、使用者が美奈子でない限り本件店舗における営業を継続することができないとか、その営業継続を前提とした本件雇傭契約を存続させることができないとかいえるものではないことが一応明らかである。

したがって、本件雇傭契約は美奈子の死亡によって当然に終了するものではなく、被申請人が相続により本件雇傭契約における使用者の地位を承継したものというべきである。

2  被申請人は、民法六二八条にいうやむをえない事由があるとして解雇を主張するが、同規定による即時解雇は、労働基準法二〇条一項但書所定の要件もみたさなければその効力を認められないものであり、これを本件に関していえば、天災地変その他これに準じる程度の不可抗力に基づく事由が生じて、被申請人が本件店舗における事業の継続をすることが不可能になった場合でなければ、右即時解雇を有効とすることはできないというべきである。ところが、本件においては、美奈子の入院後及び死亡後においても申請人において本件店舗における営業を従来と変わりなくつづけてきたのであるから、右の民法及び労働基準法の規定の定めるやむをえない事由があった場合にはあたらないものというべきである。

したがって、被申請人のした右民法の規定に基づく解雇の意思表示は無効というべきである。

3  なお、被申請人のした解雇の意思表示が、他の規定ないし事由による解雇の趣旨を含むものであるとしても、それが労働基準法一九条、二〇条所定の解雇制限等の法的規制に抵触しないものであることを一応認めるに足りる疎明はない。前記一の事実にさらに疎明を合せれば、本件の解雇は、美奈子と申請人との間で円滑に継続されてきた雇傭関係を、申請人にはなんら責められる事情がないのに、使用者が美奈子から被申請人に変わった機会に被申請人側の一方的な都合だけによって、突然消滅させるという内容のものであることが一応認められるところであり、信義則に反し、無効であるということもできる。

三  以上によれば、申請人と被申請人との間には雇傭契約関係が現在も存続しているといえる。

そして、右一の事実と疎明によれば、申請人は、現在、被申請人によって、従業員の地位をすでに喪失していると主張され、かつ就労の場所である本件店舗への立入りと営業の継続を即時中止するよう求められていることが一応認められ、このままでは、申請人は、就労の場所を奪われる危険が大きいといえる。これによれば、申請人が被申請人に対して雇傭契約上の権利を有する地位にあることを仮処分によって定める必要があるといえる。

四  以上のとおりであって、本件仮処分申請は理由があるから、保証を立てさせないで認容することとし、申請費用の負担につき民訴法八九条にしたがい、主文のとおり決定する。

(裁判官 岨野悌介)

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